元本部道場の藤田昌武師範が、合気道についてわかりやすく解説しています。
合気道の心
元本部道場師範 八段 藤田 昌武
武道の真の目的は相手を倒すための武術としてではなく、
「わざ」を磨き、「こころ」を練る人間形成の鍛練法として
広く多方面にも推奨されております。
合気道には勝ち負けの試合がなく、競技スポーツと違い、勝
利のための能力というより、技を学び過程を尊び、ひたすら
技の繰り返し反復稽古をして、己を磨き内面の充実を計る稽
古法に特徴があります。合気道は、相手の暴力のみを制し
て、相手の生命を殺傷いたしません。まったくの守りの武道
です。人間の生命尊重の時代に最もふさわしい武道といえま
す。人と争わず、自然を損なわず、力で臨まず、対すれば相
和す、宇宙と和合を目指す愛の武道、それが合気道です。日
本ばかりでなく、世界各地に広がっているのは、合気道の根
本精神に大きな共感を得ているからと申せましょう。合気道
が世の中に期待されればされるほど、二十一世紀に大きな役
割をはたすのでありましょう。人間にとって、たった一つし
かない生命を最高に生かし育てるためにこそ、私たちは合気
道を稽古しているのです。
合気の定義・・・
武田流伝書に曰く
「本来人間の身体は小宇宙であり、天地精霊の気を受けてそ
の本性としている。かくの如く、人間の身体は天地自然と微
妙不可思議な関連性をもっているもので、万有は同根であ
り、一体である。」
すなわち「合気」とは、人間の心身を大自然に合わせて、そ
の運動性を一体化することによって力をより大きく発揮しよ
うとするものであり、小宇宙としての自己を大宇宙に同調合
体させる事が修業の眼目とされている。
武道でいう礼とは、天地の運行の理法を人間の行動動作の大
原則として、その姿を学びその動きを学んでいくのがその本
旨である。合気道においても、天地運行の律動を技の上に千
練万鍛してゆくものであり、礼に叶うものである。
ところで合気道は武術であるが、同時に魂のみそぎのための
行で古来「みそぎの武道」とも呼ばれた。みそぎとは合気道
をとうして己の罪汚れの雑草を払い人間本来の美しい魂に戻
り、自在身を得るためのものである。
終わり
合気道の特色(人間練磨の求道)
合気道本部道場
元師範八段 藤田昌武
合気道はその動くところ入身と円転の理にして、ことごと
く自然の理法にかない、しかも気力気魄が満ち満ちて無理
のない動作、従って合気道は心身鍛練に最も理想的なもの
であります。現在、本部道場はじめ国内、外の各地の道場
で、学生、壮年者は申すまでもなく、子供、婦人、老人た
ちまで非常に広い年齢層にわたって愛好者が増えつつある
ことは、“武道の真髄なり”“護 身術なり”“武術にして
舞なり”あるいは“万人に健康法なり”といわれる合気道
が、日本独特の心身鍛練の道であり、人間育成の一端とし
て、広い意味で各方面に推奨されつつあるからです。
終わり
合気道の過去・現在・未来
元本部道場合気道師範 八段 藤田昌武
古来柔術は「日本武道の母」といわれております。その柔術から生まれたのが合気道であります。
元来、柔術は武器を持って攻撃してくる相手に対して、丸腰(武器を持たず)で立ち向かい、それを取って制する技であります。
柔術の動きは、力学的合理主義の最高表現であり、形はまったく世界に類をみない日本武道技法の華といえましょう。
しかも日本の武術に一貫して流れている“神武不殺”(すなわち、殺すなかれ、破るなかれ)で、相手を殺めたり、傷つけたりする世界から、相手を生かし合う世界へ転化し、技法も決してこちらから先制攻撃をしない、相手の攻撃のみを制して、その生命を殺傷しないということに鍛練の主体をおき、またすべての武術家が柔術を武術の基本として修得したものであります。
我が日本固有の文化としての柔術の特性を、現代に生かしたのが合気道であります。
もちろん、日本の武道文化の体系は、技術的なものと精神的なものを含め、剣術を中心においたものと考えるのが歴史的事実であり、歴史上の剣聖といわれるほとんどの武人は、その剣の道の究極を「無刀の位」だと現代に伝えております。
合気道はまさにこの「無刀の位」を日々の稽古の中で修めようとする武道であります。
武術が闘争の手段であった時代にあっては、無刀の位は、凡人には遥かに及ばない目標であったでありましょうが、現代ではこの無刀の位への接近は、初心者から正しい鍛練法によって可能となったのだと合気道は考え、無刀の位を修める合気道して、日々の稽古がその実戦の場となっております。
人と争わず、自然をそこなわず、力でのぞまず、対すれば相和す。宇宙との和合を目指す愛の武道、それが合気道であります。
合気道が日本ばかりでなく、世界各地に広まっているのは、こうした合気道の根本精神に大きな共感を得ているからと申せましょう。
終わり
「道と師弟」元本部道場師範 八段 藤田昌武
道を修業するうえで最も大切なものは、道を求める心である。道を行としてとらえ、志を立て、心身一如の行として出来る武道が注目されるのは有難いことである。
武道は武技による心身の鍛練を通じて人格を磨き、識見を高め、有為の人物を育成する事を目的とする、と武道憲章にもうたわれているように、人が人を育てる可能性が武道にはある。
昔から道を求めるならば、“三年師をさがせ”といわれているが、今日においてもそのことは変わらない。
道の修業にとって大切なものは、良き師をえらぶことである。
良き師をえらぶことは、人生の原理原則を教えてくれる生涯の師をえらぶことになるので人間関係からいえば、肉親に次ぐ関係になる大切なものである。
師とは道を教える人であり、師弟とは師より学ぶ人を意味する。
師の資質条件として、武道においては人格の陶治、術理の研究、心身の鍛練が求められる。
技術秘伝(体技)のみならず精神教伝(心技)を含めて、道の成就を第一技として励む。
師弟もいずれは師のようにと、師弟同行、切磋琢磨道を行じていく姿が理想である。
現代は、武道の大衆化、国際化の波のなかで、このようなものを求める事が困難な環境になりつつあるが、なるべく条件づくりに努力すべきである。
そうでなければ本当の武道は次の世代に伝わらない。
以 上
元本部道場師範 八段 藤田昌武
武道の目的は、いかに合理的に相手を制するかにあります。
全ての武道には、基本というものがあり、ここから形が生まれます。
形は、身体につたえる無形の文化財であります。そのためには、無形であるが人間にとって一つの道具である技を磨くことです。
武道における形は、全く世界に類をみない日本武道の華といえます。
形は、武道において身体を活動させることによって、技の原理を具体的にすがたとして表現したもので、これは繰り返し繰り返しやっているうちに一つの定まったかたちができて、これを学習するのが稽古であります。
合気道の稽古法は、技の伝え方である形といわれる伝統的な教習方法を行い、形を尊重し、形に従うことを大切にしています。
合気道には、競技試合がありませんので、勝利のための能力というより、毎日の技を学ぶ過程を尊び、その形を正しく繰り返し繰り返し反復して学び、内面に掘り下げていくことが稽古の意義でもあると考え励んでおります。
形を修行して、技の基本を知るわけですが、合気道は相手を傷つけず、殺さずに制する技法を中心に技を組み立てて体系化したものです。
その鍛錬法として、世界に類のない座技、そして立技、半身半立技、武器技とあります。
形の稽古を通じて「わざ」を磨き、「心」を練る、人間形成の鍛錬法として広く多方面に推奨されております。
合気道の特色は、相手の暴力のみを制して、相手の生命を殺傷いたしません。人間の生命尊重の時代に最もふさわしい武道といえます。
心身鍛練の道として独特の動きを持つ合気道が、老若男女を問わず、子供、婦人、老人達まで非常に広い年齢層にわたって誰でも一緒に行えます。その大衆性 や、それが生涯を通じて行える求道的性格、また心と体の健康法として効果があるばかりでなく、生活安全能力の向上と現代に欠かせないものを持っておりま す。
合気道が日本ばかりでなく、世界各地に広がっているのは、合気道の根本精神に大きな共感を得ているからと申せましょう。
世界に伸びる人間交流の絆として、合気道が更に世界各国にその裾野を広げていくことは、人類の平和と繁栄の実践につながる最も新しい人類共有の文化といえます。
これが来たるべき二十一世紀に大きく合気道が期待される所以であります。
ちなみに、日本文化の中で、世界に一番普及しているもの、愛好されているもの、それが武道です。
元本部道場師範 八段 藤田昌武
人間素直な心で礼を実行する事、これほど快いことはありません。
武道は礼に始まり、礼に終わると申します。礼の根元は、洋の東西を問わず、相手への
尊敬と感謝の気持ちの表れであり、また心のあり方を示す体の動きであります。
合気道では、礼は稽古時において自然に身に付くように進んで実行するよう稽古してお
ります。
まず、動作による礼としては、おじぎですが、立礼と座礼がありますが、合気道では正
座(屈膝座法のこと)からはじまる座礼が主です。
道場における礼として三礼、すなわち創立者への礼、師範への礼、稽古相手への礼、が
行われています。また、立っての行動は「すり足」、座っての移動は跪座(つま先立って座った姿勢)による「膝行法」を訓練して」おります。
稽古中の相手とのあいさつ礼は、日本語ではじめに「おねがいします。」稽古で技をほ
どこしたときは、「参った」または相手が手足を使い、二度以上身体またはタタミを打って
相図します。終わりには「ありがとうございました」をとりかわしています。
あいさつは、心を開いて相手に迫る、人間関係にとって基本中の基本だと思います。
また、身だしなみとして、清潔な道着の着用とか、正しい道着の着付け方、道具類の取り扱い方などに注意を払っています。
武の心とは、他と争わずにすますことにあると考えますが、合気道の考え方、稽古法自
体が礼にかなったものと見ています。
稽古を繰り返す事によって、日常生活において身に付くように心がけております。
元本部道場師範 八段 藤田昌武
合気道が目指す修業の理想(目的)は、自分の心と体の調和、相手と自分との調和、自分の動きと宇宙(自然)の動きとの調和を求める事にある。
カラダは元気で、ココロは平和。人と争わず、自然を損なわず、逆らわず、力で望まず、対すれば相和す、まさに宇宙との和合を目指す武道、それが合気道である。
力と力のぶつかり合い、これを争いという。合気道は力と力をぶつけない。争わない。力と力を結ぶ、力と力の和を求める。力と力の和が転化され、そこに合気道の技が生まれる。
合気道に一貫して流れている思想は、争わない事を貫き通すことである。本来、武の心とは争わないで済ますことにある。
合気道の技は「円の動き」。円く円くさばく円の動きは争わない。激しい対立をまとめる円の力、相対の因縁動作を円に抱擁する、相手を傷つけず、殺さずに制する動きは、円の動きしかない。
今、合気道は、合気道を単なる武術・武道としてのみとらえるのではなく、日本固有の文化として、あらゆる面に展開し、数多い日本文化の中で最も日本的な伝統と特色をもったユニークなものであり、世界に通ずる日本の心として紹介されている。
世界に通ずる日本の心とは、全てのものに調和をもたらす原理、それは「和の心」であり、それが真(まこと)の日本思想である。日本精神は、対立闘争の思想ではない。日本の国が大和の国といわれるように、大和(だいわ)のこころ、和の精神が国是なのである。どの国、どの時代にも通ずる、人の歩むべき誠の道を示すものといえよう。日本が本来持っている「日本の心」を合気道でしっかり一つ一つ積み重ねて実践して行こう。